【コラム:D&I】ダイバーシティ(多様性)とは(5)…人権編②

更新日:2021年12月14日

前回は、人権目線のダイバーシティ(人間平等という考えが人権目線のダイバーシティである)とお伝えしました。今回は政治経済と人権の関係について考えていきたいと思います。


2021年現在、政治経済と労働の面で見ると、人材活用のトレンドはダイバーシティ活用(ざっくり…多様な人の個性や特性を受け入れ活かそうとすることで、働きやすさや企業価値、多様な顧客へのサービス向上、社会意義へ繋げる動き)となっています。


人が企業に従属するというより、人と企業の共通する目的(企業理念や社会意義など)のために対等であろうとする、ということです。個人の存在がより強くなっている印象で、人権目線のダイバーシティと労働経済の人材活用は今は近い主張をしているのですね。



しかし、第二回で述べたように、10年、数十年とさかのぼれば、政治はまったく違うプロモーションをしてきたことがわかります。



いわく…


「女性も男性も労働者(農業等第一次産業時代)」「職業婦人ブーム(戦前)」「戦争へでかけた男性の代わりに、国家持続させる労働力を女性が担う(戦中)」「女は家庭へ帰れ/専業主婦(戦後)」「企業戦士/健康な男性を対象とした献身的な働き方/女性は会社と運命を共にできない(高度経済成長期)」「雇用機会の平等(1970年頃)」「性別、人種、年令に関わらず多様な人が働くダイバーシティ戦略(2001年、バブル崩壊直後)」「2020年までに女性管理職比率30%(2003年)※」「女性活躍推進基本法(2015年)」「働き方改革およびストレスチェック法案(2018年)」…

※19年末時点で女性管理職比率は17%


もう懐かしい言葉になりつつある『働き方改革』は、バブル崩壊後からうつ病性疾患にかかる人が毎年増加し続けたことによる医療費の逼迫と、欠勤・早退・休職・離職、ストレスによる生産性低下による経済損失(損失の直接・間接費用の総額は2008年で約3兆900億円:2011年慶応大学)が大きな理由だといえます。私の身近には、激務で精神的にギリギリであったところ、ストレスチェック法案で助かった省庁勤務の友人もいますし、効果があった部分もありますが、動機としてはある意味、お金的の視点での『働かせ改革』と言えるかと思います。



とくに資本主義社会では、何らかの要因が経済(景気)や国家予算の「数字」に大きく悪影響をきたすとき、政治はそれを防ごうと動きます。人権ベースはあくまで理想としながらも、金額として出てくるところにどうしても意識が向いてしまう。それは合理的であり、経済が動くことが豊かで平和な社会を保つための最も基本的な要素でなので、必然ではありますが、「経済への悪影響が特になければその問題は重視されない」というところが、おそらく資本主義で政治経済のできる限界です。



例えば市民の間で昨今賛同の動きが高まってきた選択的夫婦別姓制度が進まないのも、性別に縛りのない婚姻制度の実現が未だ叶っていないのも、勘定「数字」的なマイナスがプラスを上回るから、もしくはプラスが現状さほど高く見積もられていないからではないかと、私は思います。逆に、例えばコロナ禍の個人及び企業への支援・給付金制度が非常に迅速であったのは、個人の廃業や企業倒産による経済損失予測が国にとって甚大で緊急課題であったからだと考えられます。その節は、制度を利用させていただき、弊社もお世話になりました。



つまり、なにか経済的に動きがあれば、政治のキャンペーンはいつでも変わる可能性があるということです。今はたまたま労働経済でもダイバーシティを唱えていて、人権志向と重なることを理想としている。けれども、またいつ「女性は家庭へ帰れ」「男性は献身的に働け」もしくは別の偏りある動きとなるかわからないのが、微妙なところです。




頭の隅に置いておきたいこと


昭和の時代と比べ経済成長の停滞のほか少子高齢化も深刻化し、たとえば現在女性という存在は、子どもを産み育てることも、潜在的な労働力として見込まれ、社会で活躍して経済の活性化へ繋げることも、同時に求められています。そのためのスローガンのひとつが「女性が輝く社会」(2015年以降)です。


このようなスローガンを耳に入れることはするけれども、100%人権ベースのメッセージではない、という意識が必要であると思います。女性が輝くべき…それはかつての「男性はみな企業戦士」(高度経済成長期~バブル崩壊まで)のようなキャンペーンであって、決して「普遍的な正しさ」「個人ベース」ではありません。その上、本当に会社のために私生活を犠牲にするほど尽くして、けれど結局リストラをされて人生そのものに困難を強いられた人たちがたくさんいたように、未来はわからないし、なにも保証はありません。



あらためて人権目線のダイバーシティ


人権目線でいえば、結婚をするしない、子どもを持つ持たない、またどのように生計を立てるか等を含め、自分はどう生きるかの自由と尊厳を包括的に守るのが、人権目線のダイバーシティです。個人的には、自分が自らの特性や才能を活かすようにして生きようとする限り、自分で感じ考えて尊厳を求めながら自立的に人生を編んでいく限り、社会はそれに対応するように変化していくし、その流れが他の人々にとってもより良い社会を作っていくのだと考えます。その連続が多様な人の生きやすさになり広がっていく。前回最後に書いたような「人権は限られたパイを奪い合うもの(二律背反)ではなく、増やしていくもの」「人間平等」の実践意識です。



では、自分の人権(自由や尊厳)を意識して、自分らしく生きようとすることは、わがままなのか?迷惑なのか?集団に合わせることが「正しい」のか?…